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栗栖増人来兵衛日乗

いろいろやりすぎて収拾のつかない栗栖増人来兵衛の好き勝手な日記
「ほうこく」報告 再掲
「ほうこく」報告 再掲_e0181546_9154918.jpg昨日書き込んだ日記が消えてる・・・最後の送信を忘れたのかな?

ということでまた書き直し。

タイトルに「ほうこく」と書いたのは漢字にしてしまうと直ぐネタばれになりそうだから。まあどれほど訪問者がいるのかわからないブログだから、余計な心配かもしれないけど(苦笑)。

漢字は「報国」でも「豊国」でもない。この写真の駅のことです。伯備線で倉敷から1時間弱ほど入った山の中にあります。

「ほうこく」報告 再掲_e0181546_9225562.jpg「方谷駅」。Wikipediaで読むと、現地にそんな地名はないけれども、あくまで「西方の谷」という意味だということで名付けられたとか。実際は地元の人の強い要望から備中高梁藩の幕末の偉人「山田方谷」にちなんだもの。日本で唯一、人名が付けられた駅です。

方谷の著書「理財論」を月に一回開催の順受の会で読んだことがありました。強烈に感じたのはやるべくことを貫き通す意志の凄まじさ。同藩の10万両以上とも言われる借財を完済し、さらに10万両の蓄財をなした人物。私がその門人でなかったとしたら、方谷の政策に賛同していたかどうかもわからないような大胆な政策を実行し尽くしたことに驚きを感じました。当時の社会情勢なら暗殺されてしまう危険性も充分にあった中ですから凄いものです。

「ほうこく」報告 再掲_e0181546_9523096.jpg「ほうこく」報告 再掲_e0181546_9524740.jpg備中高梁には30年あまり前に行ったことがあります。その頃は山田方谷という存在も知らず、ただ松山城を中心に観光したのみ。今回は備中高梁にというよりはこの「方谷駅」だけを見に行ったわけです。

方谷が開いた「長瀬塾」というのがこの辺りに有ったらしい。現在それを偲べるものはほとんどなく、かろうじて左の石碑が建つのみ。越後藩の河井継之助も教えを請いに訪れ、辞去する時に方谷の家を振り返り、三度土下座をした場所と言う「見返り榎」が残っています(右の写真)。

「ほうこく」報告 再掲_e0181546_1004046.jpg方谷の遺徳を慕ってか、特急が上下線とも停まる。ドアも開かないし、単線なんですれ違い待ちという面もあるのでしょうけど(笑)
by kurijin-nichijo | 2010-10-07 10:04 | 旅日記
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