夜回り先生講演会
悲しくて悲しくて涙を何度も流した。会場にはしばしば笑い声が起きるのに、ただひたすら悲しかった。チャップリンの「モダンタイムス」を見た時のよう。喜劇だとばかり思って見に行った映画。周りの人たちが笑い声を上げているのに、自分だけ異次元にいるような感覚で、全く笑えず、ただ哀しくて仕方なかった。その時のことを思い出した。
昨晩、地元のホールで「夜回り先生」、こと水谷修氏の講演会が有った。しゃべりは上手すぎるくらい上手い。早口ながら活舌よくポンポンと途切れることなく言葉が飛んでくる。心に突き刺さってくる。会場を和ませることも忘れず、笑いを途中に入れてくるのだけれど、自分は笑えない。周りの笑い声に同調できない。なぜ笑えるのかもわからない。ハンカチを何度も使った。
夜回り先生が立ち会ってきた現場の、現実の重みがひしひしと心に迫ってきた。とりあえずは現場にはいない自分の言動の、拠って立つ根拠の薄弱さが身に沁みてきた。子どもたちのいる「現場」にいたい。あらためてそう思った夜でした。
ここまでの文章では伝え切れないものがあるのだけれど、書けば書くほどその悲しみから遠ざかる気がするので、今日はここで終えておきます。
昨晩、地元のホールで「夜回り先生」、こと水谷修氏の講演会が有った。しゃべりは上手すぎるくらい上手い。早口ながら活舌よくポンポンと途切れることなく言葉が飛んでくる。心に突き刺さってくる。会場を和ませることも忘れず、笑いを途中に入れてくるのだけれど、自分は笑えない。周りの笑い声に同調できない。なぜ笑えるのかもわからない。ハンカチを何度も使った。
夜回り先生が立ち会ってきた現場の、現実の重みがひしひしと心に迫ってきた。とりあえずは現場にはいない自分の言動の、拠って立つ根拠の薄弱さが身に沁みてきた。子どもたちのいる「現場」にいたい。あらためてそう思った夜でした。
ここまでの文章では伝え切れないものがあるのだけれど、書けば書くほどその悲しみから遠ざかる気がするので、今日はここで終えておきます。
by kurijin-nichijo
| 2009-11-05 22:06
| がっこう・プレーパーク