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栗栖増人来兵衛日乗

いろいろやりすぎて収拾のつかない栗栖増人来兵衛の好き勝手な日記
映画「ジョバンニの島」
映画「ジョバンニの島」_e0181546_1161874.jpg先日、試写会で「ジョバンニの島」を観た。

初めは宮沢賢治関係のアニメ映画かと思ったが、事前に北方領土関係の映画だとはわかった。それほど政治的主張の強い内容でなさそうなことも。

色丹島で生活していた人たちの敗戦からその直後に直面した事態を描いたもの。主人公である純平(10才)、寛太(7才)を中心にした物語。

敗戦後、ソ連軍によって色丹島は占拠される。母屋は軍属の住居とされ、元々の住民は厩舎などに追いやられる。小学校もソ連占領軍の子供たちとの共用とされ、元々あったオルガンはソ連の子供たちの専用にされてしまう。

音楽の時間、壁を隔ててお互いの国の曲を歌いあう子供たち。初めは相手に反発しながら大声を競う。だが、そのうち、日本の子供たちがロシア語でソ連の子供たちの歌に合わせるようになる。そして今度はソ連の子供たちが日本語で応じる。それをきっかけに子供たちは校庭に引かれた「国境」を越え、一緒に遊ぶようになる。子供って凄いな、って本気で思えるシーンでした。

あの時代に色丹島で起きた出来事を淡々と描いていて、お薦めしたい良い映画でした。北方領土返還強硬路線の方々から、余計なちゃちが入らないことを祈ってます。
# by kurijin-nichijo | 2014-02-24 11:33 | 映画・芝居
「死の淵を見た男~吉田昌郎と福島第一原発の500日」(門田隆将著)
「死の淵を見た男~吉田昌郎と福島第一原発の500日」(門田隆将著)_e0181546_1183920.jpg図書館に予約していた
「死の淵を見た男~
吉田昌郎と福島第一原発の500日」
(門田隆将著)

が、ようやく借りられたので読んだ。

地震による被災、さらにそれに続く大津波による被災により引き起こされた福島第一原発の事故発生から、かろうじて最悪の事態に陥ることを免れた辺りまでの、現場の状況を詳細に取材している。

全電源喪失という起きてしまった現実の事態下、同じ福島第一原発の敷地内にいながらも、建物毎の連絡も満足に取れない状況の中で、想定されるとりあえずのなすべきことを命をかけてやりぬいた現場の方々に敬意を払わないわけにはいかない。それは東電の従業員なんだから当たり前だ、ということとは全く別問題だ。

現実に1号機、3号機の爆発は起きてしまったわけだが、最悪の場合関東東北圏は人間が住めない状況になっていたかもしれない緊急事態であり、それを防げたのも結果論であるほどの緊迫した事態だったことがよくわかる。「原発事故での直接の死者はいない」などと嘯く人たちもいまだにいるけれど、この状況を知っていてそれを言っているのだとしたら、とても信用するに値しない。

首相官邸を含む「東京」の事故対策本部と「現場」との危機感のギャップが如実に表れてしまったのは、2、3号機に対する海水注入の問題ではないか。1号機爆発による線量増加等の危険を冒してまでの作業により、ようやく注入が始まった直後、官邸からの指示により海水注入中止の指令が届く。官邸にいる東電幹部と吉田所長の間で激しいやり取りがあり、一度電話が切れる。そして本店から注入中止の指令が来るまでの間に、吉田所長は現場の人間に根回しをする。その指示は、注入中止命令が来たら、本店とのTV会議には聞こえるように中止命令を出すけれど、注入は止めるな、という内容。現場では、もうそれ以外の方法はないことはわかっていたのだ。

こういう事態を迎え、自分の命が危ぶまれるという状況下、人間というのはやはり凄いと思う。職場を放棄して逃げようとする人はいないのだ。自分の命はともかくも、部下たちにも命をかけさせねばならない。それに心を痛めつつも、やるべきことは成し遂げた現場の方々に感謝の念を禁じ得ない。

もう一つ、痛切に感じることは、最高責任者はそのいるべき場所を離れるべきではないということ。東電本店からの報告が全く要領を得ないということはあったのだろうが、当時の菅首相がヘリで現場に飛んだのは最高責任者として間違いだったと思う。下手をすると、その行為がもっと悲惨な事態を引き起こしていたかもしれない。所詮は首相の器ではなかった、ということでしょう。

年末、涙しながら読ませていただきました。
# by kurijin-nichijo | 2013-12-31 12:04 | 時事
『見えない世界の科学が医療を変える』(長堀優著)からの示唆

『見えない世界の科学が医療を変える』(長堀優著)からの示唆_e0181546_10413483.jpg正心調息法のやり方を皆さんにお伝えするに当たって、私の理解の仕方から言うと『大健康力』という著書に書かれていることをベースにするのがいいのでは、と常々思っています。

その本で塩谷博士は高山病を例に挙げて、酸素を摂取することの重要性を説かれています。人間が生存するために必要な「呼吸」、すなわち酸素を摂取するという行為が、あまりに当たり前のことであるために、その重要性を認識できていない、とのことです。

この方向から皆さんにお伝えしたいと思いつつ、なかなかできないでいます。 当たり前の行為以外のところで、人間が酸素を摂取することが、人間の身体や健康にどう役立つのかと言うことが分からなかったからです。

最近、知人でもあり、「愛ある医療」という講演等の活動されている長堀優医師が『見えない世界の科学が医療を変える』という本を出版されました。

その中で1931年にノーベル医学生理学賞を受賞した オットー・ワールブルグ博士の説が紹介されています。

がん細胞の発生の根本的な原因は「嫌気的な環境」、つまりは酸素の少ない環境にあると。がん細胞は酸素の少ない環境下でも、 多量のブドウ糖を分解することでエネルギーを産出し、 生育することができるのだそうです。

高地でなくとも、人体の中では低酸素環境は稀にではなく起こり得る。

その原因の一つはストレス。
交感神経が極度に緊張すると血液循環が悪化し、結果、組織への血流が下がり酸素が供給不足になる。

もう一つは、環境悪化に対する生体組織の反応。
酸素不足に対応するために、ブドウ糖代謝によるエネルギー産出を開始する。 細胞側からみると、がん化すれば、その特質を利用して、酸素供給の低下による低酸素状態に耐えやすくなる。

となれば、以下は私の勝手な推測ではありますが、深い呼吸をして酸素を大量に体内に取り込めれば、「がんが治る」とは言えないにしても、細胞自体ががん化を選択する必要がない環境を作れるのかもしれません。つまりは、がんに成り難い体内環境を確保できるのかもしれません。

さらには一度がん化してしまった細胞が、ああ、こんなに十分な酸素をもらえるのなら、普通の細胞に戻ろうか」なんて考えるかも知れません。

『大健康力』をベースにしてお伝えするということへの、一つの切り口が見えてきたような気がします。
# by kurijin-nichijo | 2013-12-31 10:51 | 正心調息法
年内最後のTIMEDOMAINスピーカー試聴会
年内最後のTIMEDOMAINスピーカー試聴会_e0181546_10232372.jpg先週土曜は今年最後のTIMEDOMAINスピーカー試聴会。12/28でしたから当たり前と言えば当たり前ですけど。

最近はなかなかお客さんが来ないので、先日ようやく手に入れたMarionetteの「ZIPANGU FADO」を優雅に聴いた。

が、家庭内事情で二晩ほど寝不足が続いていて、予想はしていたものの眠りに落ちる。 目覚めて聴き逃したところなどをまた聴きつつ、「唐街雨情」(作詞作曲:湯淺隆、歌:グラシェナ・スサーナ)に聴き入っていた。

これはカラオケにも入っている歌だけれども、Marionetteのインストルメントの演奏で良く知っていて、曲は知っているし、歌詞は画面に出てくるのだから、なんとかなるだろうと、以前カラオケで挑戦した結果、どこから歌に入っていいのか全く分からず、手も足も舌も声も出ず敗退した曲(苦笑)。

そん時は「歌」としては聞いたことがなかったので、ここでしっかりと覚えて、次回いついくかわからないけど、カラオケのレパートリーに加えてやろう、などと思っていたら、どうやらお客さんが。

試聴会は和室でしたが、節電で消灯したままの玄関に行くと、驚き桃の木山椒の木、なんと作曲者の湯淺さん自身がそこに立っている。

いやいやそんな馬鹿な、とは思いつつも、 灯り不足の下では、背丈、顔の外形、服装、襟巻の巻き方、少し肩をすぼめたような姿勢等がそっくりに思える。思わず声を掛けそうになったんですが、こっちが驚いている様子に、相手も「えっ!?」という様子があったので、ここは慎重に思いとどまりました。

結局、単なるお客さんだったわけですが、驚きました。8か月のお子さんと奥様と一緒。その後、もう一方のご来場があり、久々に「大盛況」の試聴会でした(笑)。

「ZIPANGU FZDO」にはMarionetteの曲だけではなく、例えば石川さゆりさんの歌なども含め、いろんな方の曲が入っています。久保田早紀さんの「異邦人」も入っていて懐かしかったですが、諸々聴いていて、もしかしたら中島みゆきさんの「この空を飛べたら」なんかも意外とFADOっぽいのかなと思ったりしました。
# by kurijin-nichijo | 2013-12-31 10:37 | TIMEDOMAIN
映画「永遠の0」
映画「永遠の0」_e0181546_11233567.jpg
試写会で観たのですが、その時点での映画外情報を整理しときます。

●百田氏の原作は読んでいなくて
 内容は知らない。
●原作者は安倍首相寄りのスタンス
 らしいことは聞いていた。
●宮崎駿監督が百田氏&「永遠の0」らしきもの
 を批判していることは、観た後で知った。
●百田氏が安倍氏の首相再任や憲法改正に
 ついて支持する立場にあることも観た後で
 知った。


宮崎監督の批判や、百田氏の発言を取り上げた、
知人のFBの投稿で、映画の自分の感想として、
戦争やゼロ戦を賛美するものではなかったが、
こういう作品を作る方が安倍首相を支持することに
ギャップを感じるという書き込みをした。
そしたら知人から強めの反応をされた。
こちらとしては「あれっ!?」という感じだったのですが、
百田氏を擁護するニュアンスに取られたのかも知れません。

なので、ちょっと真面目に書いてみます。

まずは全体としては感動しました。
特攻の空しさ。
ほとんどが敵艦にぶつかる前に撃墜される。
それがわかっているにも拘らず、
自分は特攻機を擁護のためにその度発進し、
そして自身は帰還する。
その繰り返しの中で、
なんとしても生きて帰るという意志が挫けていく。
その辺りはよく描かれていたと思います。

特攻に対しては私はとてつもない愚策だと思ってます。
そして今後こんなことを繰り返さないためにも、
特攻で死ぬことは犬死であるとも思ってます。

ただ、もう一つ、特攻で死んだ方々について、
非難する権利は私にはありません。
理由はただ一つ、あの時代、あの年齢であったなら、
私自身が同じことをした可能性が高いからです。
性格的に言えば、むしろ積極的に志願したかもしれません。

そういう観点から考えると、
いつでも特攻というのは怒りとともに心に響くものがあります。

前述の通り原作は読んでいませんが、
映画で気になった点を挙げておきます。

ゼロ戦乗りの主人公・宮部が戦闘が始まると、
直ぐに高いところに逃げ込んで高みの見物をする。
とくに乱戦になった時は真っ先に離脱する。
始めの方では戦友からそんな批判が出ます。
それが何故であったのかはわからずじまいでした。
味方機が目の前で戦っている時に
高みの見物というのは違和感がありました。

そして彼の孫が戦後の「現在」での合コンで、
特攻の話になった時、
友人から「特攻なんて自爆テロと同じ、
狂信的な人間のすること」と言われて、
「いやそうじゃない。特攻は艦船を狙ってるんだ」
みたいに反論するところが有りました。

「友人」の指摘に対しては、
その通りだけど、そんな単純なことではないのだと言いたい。
「孫」に対しては、違わない、同じだと言いたい。

「孫」に関しては物語の終わりには
特攻に対する考え方に変化があるのかなと思っていたけど、
そのまま終わってしまった。

原作ではどう表現されているのかわかりませんが、
原作者が特攻と自爆テロは同じではないと考えていて、
それを主張しているのなら、誤りだと思います。

ただ繰り返しますが、いくつかの疑問点はあるものの、
映画単体としてみた場合、別に戦争や特攻やゼロ戦を
賛美した内容だったとは思えません。

だいぶ長くなりました。
# by kurijin-nichijo | 2013-12-26 11:29 | 映画・芝居


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