栗栖増人来兵衛日乗

いろいろやりすぎて収拾のつかない栗栖増人来兵衛の好き勝手な日記
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「逝きし世の面影」渡辺京二著
e0181546_10321434.jpg少し頑張ってブログを書いていた時期から、あっという間に1ヶ月。サボりまくってましたね。

甲野善紀さんのツイートで知った「逝きし世の面影」という本を読んで、泣き出さんばかりでした。寡聞にして知らなかったんですが、良く知られた名著のようです。書きたいことをそのまま書こうとすると、また「走るために生まれた」状態になりそうなので、抑えて書いて見ます(笑)。

営業マンの研修等で、ある島を視察に行った靴の営業マンの報告が良く例に出されます。
その島では皆裸足で生活している。一人の営業マンは「誰も靴を履いていない所に需要はない」と、他の一人は「まだ誰も靴を履いていないのだから、ここは有望な市場である」と正反対の報告を出す。これは、どちらが正しいという話ではく、どの観点で見るかによって考え方は異なるという話ではあります。

ここ数年というか、大分前から思っているのは、これからの世の中をどうすべきか、どのような方向になるのが好ましいかを考える時、立ち止まらざるを得ない地点があるということ。これまでのように裸足より靴を履いている方が、裸の生活より服を着ているほうが文明程度が高い、というような考え方から物事を見るのは間違いなのではないのか。むしろ、これまで後進国と言おうが途上国と言おうが「文明レベルが低い」と言われて来た国々の中から学ぶという観点に切り換えていかないと、なにも解決しないのではという気がしています。

「逝きし世の面影」には、幕末から明治初期に来日した欧米人からの視点を参考にすることで、当時の日本人の裕福ではないけれど満ち足りた豊かな生活振りが描き出されている。当の欧米人たちにも予測された、自分たちが接触することで崩壊に向かわざるを得ない文明というものが、そこにはあった。
さだまさしが「風に立つライオン」で

やはり僕たちの国は残念だけれど何か
大切な処で道を間違えたようですね


と歌ったような、現代の私たちが途上国の人たちの生活に対して抱くのと同じ思いを、当時来日した欧米人も日本人に対して感じていたようだ。

勿論、江戸時代後期の日本が何一つ問題のない理想郷だったと言い切ることはできるはずもない。しかし、こんな感じだったら個人的には何の不具合もないと漠然と思う程度のことは、あの時代には成立していたようだ。子どもたち、動物たち、男女関係、等々、全く同じ状態に戻ることは不可能だとしても、こうあれればという思いは強いです。


皆様に、と言ってもこのブログに来られる方はあまりに少数だとは思いますが、一読をお奨めします。
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by kurijin-nichijo | 2011-12-27 11:21 | 歴史


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