栗栖増人来兵衛日乗

いろいろやりすぎて収拾のつかない栗栖増人来兵衛の好き勝手な日記
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小猫がケキョケキョと鳴いた
e0181546_217169.jpg昨日は初めて紀尾井町小ホールへ。

正式には一昨年になるのかな、江戸屋小猫さんが四代目江戸屋猫八を襲名した。で「小猫」が1年ほど空席になっていたのだけれど、息子の真一郎さんが「そのうち小猫」を卒業して「二代目江戸屋小猫」を襲名、そのお披露目の会が昨晩あった。

口上では本人と四代目、三遊亭圓歌、金原亭馬生両師匠が並ぶ。ナポレオンズのマジックコントの後に二代目として初めての高座、なかなか落ち着いて演じてました。四代目との共演もなかなかのもの。その他、ジャズの坂田明さんやさんも応援に駆けつけてきた。

知り合いが主催した「地球交響曲」の自主上映会の関係で繋がりができたんだけれど、その頃はまだおどおどした感じが残っていた二代目ですが、もうすっかり芸人になっていました。

フジTVを始としてカメラも6、7台入っていました。フジTVでは小猫さんを追ったドキュメンタリー番組を作っていて、下記の内容で放送されるようですので、ぜひご覧くださいませ。

■フジTV 4月3日(日) 14:00~
 ザ・ノンフィクション~ウグイスの子はウグイス~

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by kurijin-nichijo | 2011-03-30 21:42 | 世迷言
原発報道
e0181546_1134170.jpg今回の東日本大震災発生から生じている原発の問題については、相当の関心を持ってツイッターとにらめっこをしながらいろんな学者さんや著名人の言うこと、書くことをチェックをしてきた。

その中での「感想」ではあるけれど、一番役に立たなかったのは新聞。大震災の報道についても同じだけれど、「1万人を超える死者」等と大見出しで書かれても、そんなもんは既に知れ渡っている。原発問題についても、余り有益な報道になっていたようには思えない。新聞の報道の内容をこういう事態の場合にどう作りにするのか、真剣に考えないと本質的な役目が終わりそうな気がした。

TVもまたあまり役に立たなかった。ただ原発問題に関しては、NHKはしっかり伝えていた。民放ではテレビ朝日。それまでよく見ていたのはフジTVだったけれど、ほとんど見なくなった。

それにしても「週間ポスト」。以前のものはあまりよく読んだことはないけれど、先週と今週のものは原発問題については素晴らしい内容だった。素人で理科系でもない人間にとっては、特に放射線絡みの話はなかなか理解しにくい。いろいろ資料を当たって、他人には説明できないけれど、とりあえず東京にまで甚大な被害はなさそう、というくらいのところまでしか分からない。今週の「『放射能と人体』本当の話」という記事は分かりやすかった。

それにしても福島第一原発。やはり初動の失敗が、対策が長引かざるを得ない事態に繋がっているようですね。ここに至っては、とにかく眼前の問題をどう解決するかに全力を挙げるしかないことは歴然。

しかし、どこかでは必ず初動で何故失敗したのかを検証する必要があるはず。東電幹部もやはり発生当初の段階で、4号機の使用済み核燃料プールの問題点も認識していたとの報道も出てきています。とすれば、現在作業中の東電社員、自衛隊員、消防隊員等々が危険な場所で長期間作業をし続けなければいけない事態を招いたことに対する責任も問われなければならないでしょう。

もしかしたら初めから「廃炉」前提の対策を講じたのなら、それほど過酷な作業に人を投入することも避けられたのかもしれません。
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by kurijin-nichijo | 2011-03-29 11:58 | 時事
生きていること 生かされていること
e0181546_1121793.jpg桜前線も桜の開花も話題に上らないこの頃。でも季節は進み、時満ちて花は咲く。

幾万もの生命が一瞬のうちに天に帰った後も、身の回りでも災害等とは関係なくいくつもの魂が還った。

一人は同級生の父親。98歳というから天寿全うといってもいいかもしれない。畳屋さんで、昔は畳替えなどもお願いしたはず。小中学校のPTA会長なども何期も務められた。知らせを知らず、大震災後初めて買い物に出て、その途中で喪服の集団に遭遇し、亡くなられたのを知った。慌ててお通夜に参列した。

京都の西陣織職人の富夢さん、ハンドルネームですけど。2月に入院したことまでは知っていたけれど、覚悟されていたのか、最後のメッセージを残しておられました。

ドキュメンタリー映画「地球交響曲」シリーズの自主上映の流れで繋がったKさん。去年の春、病に倒れられ、気丈に治療に当たられていたけれど、満月の日に旅立たれた。Kさんの紹介で知り合ったYさんもその2ヶ月ほど前に逝かれた。いまごろお二人で再会を苦笑いをされてるかもしれない。

敬愛する女性から女の子の誕生の知らせがあった。こんな時期に産んでくれて、生まれてくれてありがとう、間違いなく次の時代の作り手であると、メールを送った。生まれて二日後、その子が急逝したとの知らせが届く。天を仰ぐしかなし。名前だけを記しておこう。「にこちゃん」と言います。

何が起ころうと、生死のドラマは淡々と流れていく。とりあえず今死んでいない自分の、生きていること、生かされていることの意味を噛み締めている。
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by kurijin-nichijo | 2011-03-28 11:44 | 世迷言
尾崎豊
e0181546_1581337.jpg昨晩、TV東京で「尾崎豊20年目の真実 風の少年~永遠の伝説」という番組を見た。

尾崎豊、そしてその歌に初めて接したのは彼が20才になる前後。当時まだサラリーマンで渋谷にあったメディア・ワークショップという塾(?)に通っていた。何の関係か覚えていないけれど「卒業」のプロモーションビデオを見た。同じクラスの若い女性が「もう直ぐ20歳になっちゃうんですよ」と教えてくれた。

たしか同時にハウンドドッグの「ff(フォルテッシモ)」のプロモーションビデオも見た記憶が有る。「ff」の方は今でも好きな曲では有るが、そこではサビの「愛がすべてさ」の所を、一部女声だけの斉唱、伴奏なしで歌っていて、そこだけ嫌な感じが残ったのを今頃思い出した。

「卒業」は衝撃的だった。当時、荒れる学校というのが新聞等で報じられていた。校内で暴れて、廊下のガラス等々を破壊する若者たちの行動がいくつも伝えられた。その頃の私、尾崎豊が20歳だったなら計算上35歳くらいで未婚だったと思うが、その若者たちの心情が全く理解できないでいた。

「卒業」を聴いて、破壊する側の心情を、破壊する側から初めて覗けた気がした。当時はまだCDなんてのも出始だったのではと思うが、貸レコード屋から借りてカセットテープに録音して、通勤途上の車の中で繰り返し聴いていた。「十五の夜」「17歳の地図」「I Love You」なども含めて。

せいぜいそんな所で、ライブにも行った事はないし、葬儀に参列したわけでもない。でも強烈な印象に残っている。昨日の番組を見て、本人のきつさの一端に触れたような気がした。ほんの一端でしかないですけどね。
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by kurijin-nichijo | 2011-03-22 15:35 | 音楽
福島第一原発への素人見解
e0181546_16344472.jpg専門家でもなく科学的知識に乏しい人間ではあるけれど、ここ数日、ツイッターやネット、ネット動画等をいろいろ調べてみた。その上での、現状での個人的な認識を書いておく。写真は3/16((水)に撮影されたという第3号機のもの。

いずれにしろ、今となってはまずは3号機優先課題かもしれないけれど、基本的には1、2、4号機にも可能な限り早く注水して、使用済みも含め燃料棒を水で覆い、発熱を抑えることが重要。その効果がどれほどあるかも未知数だけれど、次は電源の確保。これにより冷却装置の再稼動ができるならば、当面の危機は一段落しそう。

ただ外部からの注水はほんとに上手く行くのかは現段階では全く不明なのではないか。もしうまくいったとしても、充分な給水ができればそれで完了かというとそうではない。その水は「循環」させなければいけない。循環系が復活できないならば、燃料棒の発熱で蒸発する分を補充し続けなければいけない。それが果たして可能なのかどうか。

だから、電源を接続して循環系である冷却装置が再稼動させられないといけないわけだけれど、接続できたとしてちゃんと稼動できるのかが大問題。だめならば、前述のように場合によっては(よらなくとも)シジュフォスの神話のような虚しい作業を続けなければいけないことになる。

※「シジュフォスの神話」については http://d.hatena.ne.jp/Psychologer/20080218

自分の認識を恥じるしかないけれど、稼動していない4号機が爆発を起こした理由が後付けで分かった。発電自体はしていないけれど、使用済燃料棒用に冷却プールがあって、その冷却水の循環も止まって水が蒸発した結果とのこと。しかもこの使用済燃料棒、もう発電の能力はないけれども、発熱はほぼ永遠に続き冷却し続けなければならないのだそうだ。

となると1号機から4号機の冷却装置が動いていないことが分かった時点で、稼動していない4号機にもそういう危険があることは想定できたのではないか。ただ、どうもそういう全体を見渡して、これがこうなったら、あそことあそこにこんな問題が発生する可能性が有ると判断できる人間がいなかったように思える。現場にも、政府とコンタクトしている東電担当者の中にも。それが全ての対応が発生対処にしか見えない原因なのではないか。

さらにさらにである。なんとか電源が確保されているという5号機、6号機。徐々にではあるが水温が上がってきているという報告。となればこちらも、他よりは緊急度が低いかもしれないけれど、現状が長引くと、同じことが起きないとも限らないことになる。

素人なりに考えてみても、やはり当初の問題の大きさについての把握が甘すぎたのではないか。廃炉にしないことを前提に対処し始めてしまったことが、みんな後追いの対処になっているように感じます。いきなり「廃炉」前提で対処すべきだったということではなく、その可能性も加えた上での真剣な検討が必要だったのでしないか。そんな気がします。
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by kurijin-nichijo | 2011-03-18 17:24 | 時事
立教新座高等学校 渡辺憲司校長メッセージ
「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ」と題した同校・渡辺校長のメッセージが素晴らしい。もしかしたらこういう事態だからこそ書けた、今だからこそ読むに値する名文かもしれない。無許可では有り、リンクを貼ればいいことかもしれないが、敢えて全文を掲載します。

******************************************************
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためでなないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

「今日ひとりで海を見てきたよ。」 

そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32


一言付言する。

歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする) 

被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

立教新座中学・高等学校 校長 渡辺憲司
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by kurijin-nichijo | 2011-03-16 17:12 | 時事
確認情報と未確認情報の区別
e0181546_11515513.jpg昨日からの枝野官房長官会見。TV局の放送で困るのは、どの局でも中途で、しかもその後の放送とも関係なさそうなところで打ち切ってしまうこと。打ち切るポイントにも意志さえ感じられない。

福島原発の状況を注視している。が、昨夕の会見では最初と最後にそれに触れただけで、「中」は取材のヘリコプターの騒音が問題なので取材方法を考慮して欲しいとか、ネットのチェーンメール問題の指摘とか。それはそれで問題とは思うが、会見での主要な問題と明確に区別して話して欲しい。

昨夕の会見で言えば、どのレベルの危険性にまで達しているのか、海水で対処せざるを得なくなったのはなぜか、等々、もっと明確に説明してもらいたかった。

今朝の会見でも同じ。被曝者9名の話には触れたが、既にメディアでは90人とか160人に被爆の可能性という報道もしている。それが事実であるのかそうでないのか、どうして触れないのだろう。全くの誤報であるなら、メディアだって自らの絶大なブランド力を使って、チェーンメール以上の誤報を振りまいていることになる。

政府として9名以上の被爆者情報について、全く把握していないのか、確認できているのが9名だけで、他はまだ未確認情報ながら把握しているのか、その辺りを明確にして発表すべきではないのか。

9名についても体外被曝は確認されたが、体内被曝がなければ心配はないと言う。しかし本人たちはその場で被爆しているということは知らなかったわけだから、当然普通に呼吸はしている。となれば当然体内にも吸い込んでいることが推測される。

具体的な数値は分からないし判断できないけれど、あれ位の体外被曝量を前提にすれば、呼吸程度で吸い込んだくらいなら体内被曝の可能性は「ほぼ心配ない」と言ってくれたなら分かる。そうでないなら、少なくとも体内被曝の可能性がないとは言えないので「至急検査」する、くらいのことは明言すべきではないのか。

なんか政府の発表が後追い、先送りになってしまってる感があります。
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by kurijin-nichijo | 2011-03-13 12:21 | 時事
人生最大の地震
e0181546_13593618.jpg本来は今日から正心調息法の講習会で広島と京都に出張予定。昨日はその準備をしつつ、受講予定者に最終確認のメールを入れた。そしてしばらくしたら揺れ始めた。

徐々に大きくなっては来たが、そのうち収まるだろうと高を括っていた。永い。揺れがより大きくなる。とりあえず物干しへの硝子戸を開ける。一向に収まる様子がない。

整理されていないパソコン周りの山積みの書類等が崩れ始める。本棚に二重に収納してある前面の本が落ち始める。窓外の電柱が木が強風に煽らているかのように大きく揺れる。とうとう来てしまったか、と思わざるを得ないような激しい揺れ方。

我が家も隣の実家も築40年を越えるボロ家。本格的地震が来たらひとたまりもないだろうと家族で話していたくらいのもの。これは相当ヤバイ、と観念し始めた頃、ようやく静まった。とにもかくにも、これは60年の人生で遭遇した最大の地震。恐ろしいというよりも唖然、と言ったほうがいい。

しかし、なぜか我が家は崩れてきたり落ちてきたのは、そんなに大きくない地震でもそうなりそうなものばかり。パソコンもプリンターもスキャナーも大丈夫だった。揺れが収まってから1階に降りる。食器棚等どうなってるかと思ったら、いくつかのものが飛び出してたけど割れ物はなし。なんでこれが飛び出してるのに、他のものは大丈夫なのかわからないくらい。間違いなく落ちるだろうと思っていた、箪笥の上の箱等も全く落ちていない。

隣の実家に行く。こちらはお勝手周辺のものが落ち、食器棚からコップが飛び出したりして、数点が割れていた。なんか土が落ちているのでなんだろと思ったら、若干壁土が落ちていた。驚いたことに神棚は全く無事。さすが神様と感心ひとしきり。2階に上って確かめたけれど、もっと惨憺たる状況かと思ったら、室内にある物干し竿に掛けてあったハンガーが落ちただけ。なんとも不思議な感じでした。

外出中の子どもたちからも電話が有り無事を確認。かみさんもパート先から帰ってきて無事。親戚関係の連絡がなかなか着かなかったけれど、夜までにはほぼ無事を確認した。

翌朝早くから出張の予定なので交通情報を気にして見ていた。とりあえずは月曜に帰宅予定を1日繰り上げて日曜に変更。宿にキャンセルを入れ、日曜夜に合う予定だった知人に断りを入れる。その時の予想では少なくともは東京以南は土曜始発から動くのではと判断。まだ出張のつもりでいた。

今朝4時過ぎに起床。羽田発6:50のANAで広島に向かう予定なので、羽田までの交通機関に耳を済ませた。まずは東京メトロ南北線は動く。都営地下鉄も動く。どうやら東京モノレールも動くようだ。JR各線も動き始めたようなのだが、しばらくすると京浜東北線は7時くらいからとのこと。となると南北線、都営地下鉄を乗り継いで京急で羽田へというルートだが、京急の運行状況が分からない。ここでやむなくギブアップ。午前中はその関係のキャンセル連絡で潰れました。

いまでも京急は泉岳寺・品川間の運行が止まっている様なので、やはり6:50発のフライトにはどうにも間に合わなかったようですね。東海道新幹線に切り換えても会場には時間までには着けなかったので、今日はやっぱり行けない定めだったようです。

しかし東北地方の被害はまだ全貌が掴める状態ではないようですが、相当酷いようですね。被害が最小限でありますように、と祈るレベルを超えた惨状。できるだけ早く全貌を把握して、少しでも多くの人たちの命が無事であるよう祈るばかりです。
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by kurijin-nichijo | 2011-03-12 14:47 | 時事
植草一秀「日本の独立」
e0181546_13491221.jpg知人の読み掛けだったものを借りて読んでみた。昨今の政治情勢に疑念を持ったので。副題は「主権国民と『米・官・業・政・電』利権複合体の死闘」。『米・官・業・政・電』とは米国、官僚、大資本、政治屋、電波(TV、新聞を含むメディアのこと)を指す。

植草一秀氏については痴漢事件で二度ほど逮捕されているのはご承知と思う。それが冤罪であるのかどうかは、今の私にはわからない。ただ、この本を読むと暗然とするものがある。

以前から耳にしてはいたものが、少しづつ繋がり始める。

幕末から話は始まっているが、坂本龍馬が起こした日本最初の株式会社と言われる「亀山社中」。資金を出したのがフリーメイソンとの話。「お蝶夫人」で知られるグラバーはその一員だったらしい。
ただあまりフリーメイソンの陰謀説に拘ってしまう問題点は別途あることは認める。それを信じきってしまうと、世界はもうどうにもならなくなってしまうので。

そして、一般的には「征韓論」を巡る意見の対立とされている明治六年政変。教科書で習ったのは、征韓論を主張して敗れた西郷隆盛が下野したということ。
何年か前、「南州遺訓」という本を勉強したことがある。その中に下記の文があり、おやっ、と思った。

文明とは、道の普(あまね)く行わるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言うには非ず。世人の唱うるところ、何が文明やら、何が野蛮やらちっとも分からぬぞ。予、かって或る人と議論せしこと有り。西洋は野蛮じゃと云いしかば、否な文明ぞと争う。否な否な野蛮じゃと畳みかけしに、何とてそれほどに申すやと推せしゆえ、実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、左様には無くして未開蒙昧の国に対するほどむごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮じゃ、と申せしかば、その人口をつぼめて言無かりきとて笑われける。

つまりは、「文明」国だというなら後進の国に対し慈愛を持って話し合いで文明に導くべきであるのに、実際は武力を持って従えるというやり方をしている。それは「文明国」のすることではない、野蛮だとと言っているわけだ。

こういうことを言う人が「征韓論」を唱えたと言うのなら、考えられるのは二つ。一つは西郷隆盛が言行不一致のいい加減な人物であった可能性。もう一つは政変に勝った方が事実を捻じ曲げて流布した可能性。どうやら後者の方に思える。

明治六年政変で勝ち組となった大久保利通が作り上げた体制が連綿と維持されており、それが『米・官・業・政・電』利権複合体となって米国の意志のままに動く現在の体制に繋がっているという。

小泉首相時代の経済政策等の無茶苦茶さにも話が及んでいるけれど、この辺は難しいことだと感じた。政府の政策が正しいのかどうかというのは、例えば経済学者でも立場によって言うことが違うのが常。これを国民はなにを基準にどう判断すれば良いのか。
実は環境問題なんかも同じ。難しいことは事実としても、日本国民として「親方日の丸」の心持ちから抜け出し、政府等々に「物申す」気概、信念を培うことが重要であることは間違いないようだ。
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by kurijin-nichijo | 2011-03-10 14:52 | 時事
渡部昇一著「知的余生の方法」
e0181546_2364956.jpg3月5日(土)の基礎講座を受講していただいたKさんから、渡部昇一氏の近著「知的余生の方法」という新書に塩谷博士の紹介があると聞き、早速購入してみた。

出版されたのはもう博士が倒れられた後だったけれど、渡部氏と博士の対談本「人間百歳自由自在」がある。塩谷博士の本としては最後のものになる。

「知的余生の方法」では、長寿のための方法としては、大きくは栄養学を主体とするものと、呼吸法や精神性を重視するものの二つがあるとした上で、後者の例として博士の正心調息法を挙げておられる。まあ、博士の名前と正心調息法という名称が出てくるのはここだけですけど。

全体を読んで興味を持ったところをいくつか紹介しておきます。

一つは日本語の「時(とき)」の語源。諸説あるようだけれど、「疾く(とく)」から来たという説もあるという。時の流れの速さを感じる年齢になってくると、なんとなくそんな気もしてくる。

二つ目。インターネットでの情報と読書から得る知識とは本質的な違いがあるのでは、ということを、比喩にすると食物とサプリメントの関係なのでは、という指摘。その後の説明にはピンと来ないところもあるけれども、なんかヒントはありそう。

パスカルの「パンセ」を読むことを奨められている。パスカルと言えば「人間は考える葦である」が有名。その言葉も「パンセ」の中にあるとのこと。そういう哲学書だとばかり思っていたが、自分の姪の病気が治ったりという神秘体験をして、そのことについてなぜそれが起こったのかを彼なりに考察した書だそうだ。ちょっと読んでみたくなった。ちなみに「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界は変わっていただろう」という言葉もこの本に有るという。

最近の小学校からの英語教育について。話し言葉優先の教育には疑問を提起されている。会話能力ももちろん大切ではあるけれども、読む能力と正しい文法で書く能力も重要であると指摘。でないと会話はできても、文章の読み書きができない「文盲」と同じになってしまうとのこと。たしかにアメリカ人だからと言って、間違いなく会話はできるだろうけれど、全員が読み書きができるとは限らないというのは間違いないですよね。

という、ざっとした感想でした。
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by kurijin-nichijo | 2011-03-09 23:37 | 正心調息法


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