栗栖増人来兵衛日乗

いろいろやりすぎて収拾のつかない栗栖増人来兵衛の好き勝手な日記
カテゴリ:歴史( 12 )
「永続敗戦論~戦後日本の核心」 白井聡
e0181546_10412387.jpg知人から借りて読んでみたが、帯に「必読の日本論」と書かれているが、たしかに読んでみた方が良い内容でした。左の写真は表紙が白地なので、なんか文字だけになっちゃってなんだかわかりにくいけど、本です(笑)。

「永続敗戦」ということについては、帯の裏側に書かれています。

それは戦後日本のレジームの核心的本質であり、「敗戦の否認」を意味する。国内およびアジアに対しては敗北を否認することによって「新州不滅」の神話を維持しながら、自らを容認し支えてくれる米国に対しては盲従を続ける。敗戦を否認するがゆえに敗北が際限なく続く-----それが「永続敗戦」という概念の指し示す構造である。今日、この構造は明らかな破綻に瀕している。

1945年8月15日の「終戦」は、本土決戦を避け、それ以上の負担を国民に強いないためなのではなく、「国体」を維持するためのものであった、という指摘は、単に私の知識が乏しかっただけかもしれないけれど、驚きでした。

本土決戦という状況になると、戦火だけでなく様々な事態が生じカオスが生じる。そうなった場合、日本が分割されてしまうかもしれないし、当時の流れで言えば共産化されてしまうかもしれない。そのカオスの中で、日本国民が「天皇」にではなく、日本国民各人が「自らの命をかけても護るべきものを見いだし、そのために戦うと自主的に決めること、同様に個人が自己の命をかけても戦わないと自主的に決意する」体験をしてしまうことを回避するためだった、と。

このレジームが成立するためには、最低限東アジアにおける日本の経済力の圧倒的な優位を維持することが必要。現在においてはこの優位性が相対化されつつあり、結果、必然的に「永続敗戦レジーム」は耐用年数を終えている。

それが何をもたらすかというと、早晩、再軍備の是非も含め、否応なしに日本国民に自らの意志で国の進むべき道を選びとらなければいけない、決断の時期が近づいているということ。自分も陥りかねないお題目平和主義ではどうにもならない時期が迫っているようだ。
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by kurijin-nichijo | 2013-10-07 11:26 | 歴史
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」
e0181546_1005029.jpgこれまたツイッターで知り、「読もう」としてみた。

伊藤桂一著「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫

従軍慰安婦の問題は、個人的にはよく問題点が理解できない。この本が現場の実態に触れているとのことなので、その辺りの参考になればと。

最初は軍隊とか慰安婦の問題に対して、どちらかに偏った内容かと思っていた。400ページを越える本なので、とりあえずは直接関心のある「戦場と性」の所から読んでみた。戸惑ったのは「偏って」いないこと。自らも兵役を体験した著者が、その目で見た事実を中心に淡々と描いている。

まえがき等も読んで、これは面白そうだから読破しようと思ったのだが、すぐに挫折。陸軍の編成とか、兵営生活の実態とか、実に丁寧に書かれているので、陸軍の実際について知りたい方には価値が高いと思うが、私程度の問題意識で全編を読み通すのはちょっと無理、と断念して、拾い読みのみにした。

兵隊の世界は、複雑で混沌としていて、一部の左翼公式主義者のみるような、単純なものではない。むろん兵隊が被害者であることには間違いないが、といって被害者意識だけで存在しているのでもない。

著者のこの本に対する姿勢は、上記の文にはっきり表れている。
戦場にいる兵隊も、常に戦闘状態にいる訳でもなく、当然日常生活もある。常に被害者意識を持った状態では、やっていけないだろう。

慰安婦の問題に絞ってみる。
まずは日中戦争以前は、戦場には女性はいなかったとのこと。日中戦争以降、看護婦も慰安婦も兵隊とともに前線に移動したらしい。

やはりツイッター経由で知った、たしか妹尾河童さんの体験だったと思うが、慰安婦一人に対して40人くらいの兵隊が順番待ちをしているのを見たことがあるとか。どこでもそうなのかと言うと、一概には言えないようだ。筆者の駐屯地には600名の兵隊がいて、慰安婦は4名。毎日大繁盛かと言うと、そうでもなかったらしい。

それでも、さらっとこんな文も挟まっている。

慰安婦も多くは、欺(だま)されて連れてこられたのである。

朝鮮の女性たちは日本兵に献身的であったらしい。中国の女性たちは言葉が通じないこともあり、日本人に心を開かなかったようだ。ただし、日本兵との逃亡、心中、奔敵(寝返ることだと思う)になると、その対象はほとんど中国女性だったとのこと。

ひどい話も出ている。ビルマ(現ミャンマー)での話。ある兵団で強姦事件が絶えず、内々にこれを認めた。ビルマは親日国であり、民衆は熱心な仏教徒であるので、認める条件は証拠隠滅、つまりは犯した相手をその場で殺害すること。結果、事件は起こらなかったが、兵隊がひるんだためか、表面化しなかっただけかは不明なようだ。

一つだけ表沙汰になり、3人が白状。「情においてどうしても殺せなかった」と述べたという。軍法会議にかけられ、降格の上、内地送還となった。降格、内地送還、入獄というのは、当時としては極刑で、家に戻れないような恥ずべき事態だが、結果として3人は戦死から免れた。
それにしても、「情において殺せなかった」と言うが、「情を抑えきれなかった」行為は殺人より罪が軽いのだろうか。相手の女性の人間としての尊厳に対する思いやりは、そこにはないようだ。

この本に関しては、とりあえずここまでです。
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by kurijin-nichijo | 2013-07-30 11:22 | 歴史
「核の難民」~ビキニ水爆実験「除染」後の現実
e0181546_14444365.jpgツイッターで知り、読んでみた。

「核の難民」
~ビキニ水爆実験「除染」後の現実
佐々木英基/NHK出版

1954年3月1日、ビキニ環礁で「ブラボー」と名付けられた水爆が炸裂。第五福竜丸乗組員が被曝した時だ。ビキニ環礁の東方にあるロンゲラップ島、そしてその住民も被曝した。その後、現在に至るまでの現実を取材した内容だ。

その2日後、住民を他の島に移送するものの、広島・長崎への原爆投下の後の対応と同じく、アメリカは治療目的ではなく、研究目的で住民に対応する。1957年にアメリカが安全宣言を出したことにより、被曝した85人と、爆発時に他島にいたりして被曝しなかった165人が帰島。それにより被曝被害がさらに広がることになった。その状況でもアメリカは安全だと言い続け、その「嘘」に耐え切れなくなった全住民は1985年、他島への移住を自ら決定した。そして現在、また除染は完了したということで、住民に対し帰島を奨める状況になっている。

故郷の島を離れたことで引き起こされる独自の文化、そして家族の絆の崩壊。自給自足の生活から、いやおうなしに巻き込まれる貨幣経済。もともとロンゲラップ島で生まれ育った世代と、島を知らない世代との故郷への想いの違い。例え「安全」でなくとも島に戻ってそこに骨を埋めたい世代と、戻ることによって新たな世代に被曝が及ぶことへの懸念。これから日本でも起き得る、もう起きているかもしれない事態が描かれている。

1985年に全島民が移住を決めた時に、アメリカ政府高官の住民への非難。

「移住による精神的影響は、放射線による影響より危険だ」

その通りの面もあるだろう。しかし、住民にとってはそれがわかった上での選択だったはず。
この言葉を聞くと、現在、ネット上でも「原発事故関連死の大きな部分は、事故そのものよりも、避難による精神的なものが占める」と主張する人たちの言葉にも繋がってくる。

もちろん、戻っても問題がない状況であるなら、早く戻れるようにすべきだ。それを誰がどのように明確に判断し、かつ住民の納得を得られるようにするのか。そこがはっきりしない限りは、そう簡単には解決しないだろう。

この本を読んでも、ロンゲラップ島の除染が完了した、というのが島の一部のことなのか、全てのことなのか明確でない。過去の経験から、アメリカ政府から「安全」と言われても、信じていいのかどうかも分からない。「マーシャル・アイランズ・ジャーナル」の編集者ギブ・ジョンソンの言葉が重い。

1954年の核実験、さして1957年に「調査のため」に帰島させられたこと、この二つの事実は、ロンゲラップ島の住民の考え方に「暗い影」を落としました。この「暗い影」こそが、住民にとって「アメリカとの歴史」そのものなのです。
ですから、アメリカがロンゲラップへの帰島を実現させたいのなら、ただ単に「あなたの島は安全です。戻ってください。」と言うだけでは足りないのです。50年、60年と積み重ねてきた両者の歴史を考えてみれば、そんな簡単に済む話ではないと分かるはずです。


福島の原発事故で避難している人たちが戻れる状況になっているのかどうか。もちろんもう戻れない地域もあるだろう。でも戻れるところがあるなら、早くそのことを宣言してほしい。ただし、宣言したからと言って戻ることを急いではいけないのだろう。誠意を込めた、息の長い説明が不可欠であろう。ネットで高説を垂れているだけでは、物事は進まないと思われます。
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by kurijin-nichijo | 2013-07-29 15:49 | 歴史
鈴木治「白村江~古代日本の敗戦と薬師寺の謎」
e0181546_10235031.jpgたしかジャーナリスト・岩上安身さんのツイートで知ったのだと思うが、読んでみた。図書館で借りたが、表紙は違っているので、版が違うのだろう。

新しい見方かと思ったが、1972年(昭和47年)に刊行されたものだった。日本史が好きで、当時はいろいろな歴史書を読んでいたけれど、この本のことは知らなかった。

白村江の戦いがあり、日本が大敗を喫したのは知っていた。その後、唐・新羅連合軍が侵攻してくるのを恐れて、水城を造ったり、飛鳥では「狂心の渠」(たぶれごころのみぞ)という運河を造ったり、遷都をしたり、という知識はある。が、唐・新羅連合軍は攻めては来ず、遣唐使を含む比較的友好的な関係を続けた、というイメージを持っており、まして唐・新羅の政治的な影響はなかったと思っていた。

鈴木氏の大まかな論点は、高松塚古墳の発見による唐文化の多大な影響を考えざるを得なくなったことにより、大敗を喫した後に戦勝国、戦敗国の関係が友好的に続いたと考えることは不自然であること。また薬師寺の薬師三尊は当時の最先端技術で造られており、日本人が学んで造ったというより、唐人が渡来して造ったと考えるべきである、ということ。同寺の聖観音像はそのための参考として持ち込まれたものではないかと。

その観点から史書を当たっていくと、どうやら唐・新羅から、戦後の監視のためにいわばGHQが来ていたのではないか。天智天皇崩御の前年に、朝散大夫・郭務悰が47隻の船に分乗して筑紫に渡来した二千人の大部隊がそれで、軍隊ではなかったにしろ、大規模な政治工作部隊それなのではないか。

その後繰り広げられる、壬申の乱、長屋王の自殺、藤原広嗣の乱、橋奈良麻呂の変、恵美押勝の反乱等々は、唐・新羅の政策と、その傀儡政権とそれに反抗する勢力間での問題ととらえる。女性天皇存在も頻繁に行われた遷都も、その関連の中で捉えられている。

これが一つの説に過ぎないのか、事実に近いと考えるのか、学者でもない私には判断できないが、考え方としては充分成り立つように思う。

後者に近い考えに立った場合、けっこう怖いなと感じたところがある。
白村江の敗戦後、唐の政治的影響から抜け出すのは、894年の遣唐使廃止以降。しかも廃止決定は日本の選択としても、その4年後には唐が消滅するので、唐の国力が弱まっていたことも間違いない。となると、日本が唐の政治的な影響力から逃れるには230年ほどの時間を要し、さらに相手の国力の衰えを待つしかなかったことになる。

そう考えると、戦後まだ68年。政治家たちも含めて戦勝国のくびきから脱するにはまだ時間が必要で、またかの国の国力の衰えがかなり明らかになってからでないと、明確な動きにならないのかも知れない。日本人ってそんな民族なのだろうかと考えてしまうと、空恐ろしい気がする。
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by kurijin-nichijo | 2013-04-07 11:35 | 歴史
渡辺京二「黒船前夜」
e0181546_11103680.jpg「黒船前夜~ロシア・アイヌ・日本の三国志」を読んだ。渡辺京二氏の著書を読むのは2冊目になる。日本が開国する以前、18世紀半ばから19世紀初頭くらいまでの、蝦夷地(北海道)から樺太、千島列島を中心とした情勢に関する内容だ。

「逝きし世の面影」ほどのインパクトは受けなかったけれど、その時期の蝦夷地周辺の緊張感はよく伝わってくる。江戸幕府は海外事情に疎く、外国使節への接触の仕方がわからず、右往左往するだけだった、というような状態ではなかったことはよくわかる。海外諸情勢を踏まえた上で、蝦夷地経営に携わっていたようだ。

まだ北海道以北の地理が確定していない、したがって国境も画定していない時期、対応を誤れば北海道も他国領と主張されかれない中、幕府もしっかりとした対応はしていたようだ。まあロシアも極東に進出するにはいろいろと事情を抱えていて、そう簡単には動ける状態にはなかったようだが。

この本の終わりを飾る日本の幽囚となったゴローヴニンと、その解放のため人質とされた高田屋嘉兵衛に絡むエピソードも興味を惹く。ゴローヴニンが解放され旅立つときの、その交渉に尽力した高田屋嘉兵衛に向けられたロシア船員たちからの「ウラー、タイショウ!(大将、万歳!)」という声が私には聞こえるようでした。

渡辺氏にはこの他にも「日本近世の起源」「神風連とその時代」「江戸という幻景」等々の著書があるようだ。久々にシリーズで読んでみたい作家に出会いました。
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by kurijin-nichijo | 2012-03-02 11:43 | 歴史
再び「逝きし世の面影」
書きたいことは沢山あれど、それを書こうとすると間違いなく長い時間を取られるので逡巡していると、このブログは「日記」ではなく「月記」になってしまっていますね。

e0181546_10411681.jpgで再び「逝きし世の面影」。

これについても書きたいところは沢山あって、本気で書いたら何日も続くような気がします。今日は「第七章/自由と身分」の内容からちょっと書いてみます。

幕末から明治初めにかけて日本人と接触した欧米人たちには、雇い主と使用人の関係に戸惑ったらしい。彼らの国では使用人は命じられたことだけをやる。それが当たり前だった。ところが日本人は、にこやかに指示を受けはするけれど、欧米人にとっては余計なことまでする。

例えば、雇った料理人に羊肉を買ってこいと命ずると牛肉を買ってくる。なぜなら、その方が安価なので雇い主の出費を抑えるべきだと自主判断したから。たしかにこれでは羊肉を食べたかった雇い主は怒るわね。

明治中期の体験談としてアリス・ベーコン女史が、その著書の中で次のように記しているとのこと。

家庭内のあらゆる使用人は、自分の眼に正しいと映ることを、自分が最善と思うやりかたで行う。命令にたんに盲従するのは、日本の召使にとって美徳とはみなされない。彼は自分の考えに従ってことを運ぶのでなければならぬ。もし主人の命令に納得がいかないならば、その命令は実行されない。

当時の日本人にとっては、命令された事柄に対して、それが雇い主にとってどのようにすれば最善の結果になるかを自分で判断して行動することが当たり前だったようだ。言われたことしかしないのは、むしろ雇い主に対して忠義に反するというところだろうか。

初めのうちはそれが「癪にさわった」アリス・ベーコン女史も、やがて使用人のやり方を受け入れる。

使用人は自分のすることに責任を持とうとしており、たんに手だけではなく意志と知力によって彼女に仕えようとしているのだと悟ったとき、彼女はやがて、彼女自身と彼女の利害を保護し思慮深く見まもろうとする彼らに、自分をゆだねようという気になる。

この辺は大分希薄になったとはいえ、まだ日本人の心象の中に根強く残っている気がする。

ただチェンバレンという人のこの言葉を聞くと、危うい面もあるのに気付く。

不服従が慣例になっている。それはわざと悪意をもってする不服従ではない。主人がやるよりも自分のほうがもっとよく主人のためにやれるのだという、下級者の側の根深い信念に基づくものである。

ここまでくるとピンと来るものがある。著者の渡辺京二氏も、そのあと次のように指摘している。

昭和前期の軍部の暴走を主導した佐官級幹部の「下克上」現象も、その淵源とするところは深いといわざるを得ない。

これは現在の官僚の問題や原子力村などにも繋がっているのかもしれない。例えば憲法や法律を変えることなく、なし崩し的に運用で変えていく傾向にある「日本」にもまだまだ色濃く残っているのかもしれない。そして自分の中にもきっと。


ということで、パソコントラブルも含めて、結局30分以上かかってしまいました(苦笑)。
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by kurijin-nichijo | 2012-02-08 11:27 | 歴史
「逝きし世の面影」渡辺京二著
e0181546_10321434.jpg少し頑張ってブログを書いていた時期から、あっという間に1ヶ月。サボりまくってましたね。

甲野善紀さんのツイートで知った「逝きし世の面影」という本を読んで、泣き出さんばかりでした。寡聞にして知らなかったんですが、良く知られた名著のようです。書きたいことをそのまま書こうとすると、また「走るために生まれた」状態になりそうなので、抑えて書いて見ます(笑)。

営業マンの研修等で、ある島を視察に行った靴の営業マンの報告が良く例に出されます。
その島では皆裸足で生活している。一人の営業マンは「誰も靴を履いていない所に需要はない」と、他の一人は「まだ誰も靴を履いていないのだから、ここは有望な市場である」と正反対の報告を出す。これは、どちらが正しいという話ではく、どの観点で見るかによって考え方は異なるという話ではあります。

ここ数年というか、大分前から思っているのは、これからの世の中をどうすべきか、どのような方向になるのが好ましいかを考える時、立ち止まらざるを得ない地点があるということ。これまでのように裸足より靴を履いている方が、裸の生活より服を着ているほうが文明程度が高い、というような考え方から物事を見るのは間違いなのではないのか。むしろ、これまで後進国と言おうが途上国と言おうが「文明レベルが低い」と言われて来た国々の中から学ぶという観点に切り換えていかないと、なにも解決しないのではという気がしています。

「逝きし世の面影」には、幕末から明治初期に来日した欧米人からの視点を参考にすることで、当時の日本人の裕福ではないけれど満ち足りた豊かな生活振りが描き出されている。当の欧米人たちにも予測された、自分たちが接触することで崩壊に向かわざるを得ない文明というものが、そこにはあった。
さだまさしが「風に立つライオン」で

やはり僕たちの国は残念だけれど何か
大切な処で道を間違えたようですね


と歌ったような、現代の私たちが途上国の人たちの生活に対して抱くのと同じ思いを、当時来日した欧米人も日本人に対して感じていたようだ。

勿論、江戸時代後期の日本が何一つ問題のない理想郷だったと言い切ることはできるはずもない。しかし、こんな感じだったら個人的には何の不具合もないと漠然と思う程度のことは、あの時代には成立していたようだ。子どもたち、動物たち、男女関係、等々、全く同じ状態に戻ることは不可能だとしても、こうあれればという思いは強いです。


皆様に、と言ってもこのブログに来られる方はあまりに少数だとは思いますが、一読をお奨めします。
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by kurijin-nichijo | 2011-12-27 11:21 | 歴史
特別展「円空~こころを刻む」
e0181546_1544415.jpg円空の仏像に惹かれて、飛騨から名古屋まで回ったことがある。もう30年ほど前になるが、車だったのでかなりの奥地まで、住所を頼りに訪ね回った。

その円空の埼玉県にあるものを中心にした展覧会が開催されているので、一昨日行ってきた。円空仏魅力というのは私にとってなんなんだろう。今回観て、土偶にも通ずる造型上の割り切り方にあるのかな、という気がした。

たしかミケランジェロの逸話だったと思うが、道端に転がっていた大理石を見て、この中に神が宿っていると叫んで像を彫ったという話。勿論全ての円空仏が該当するわけではないけれど、丸い木材を二つに割り、はたまた三つ、四つに割り、割られた側の面にその木目等も生かした像を彫っていく。そこに勢いと割り切りを感じる。

写真が無いので説明しずらいけれど、今回の展示の中では小さくて細身の神像二体に心惹かれた。丸太を割ったというより、その時に出来た端材を使って彫ったようなシンプルなもの。節なんかもそのままに、造型として取り込んでしまっている。一木一草全てに神仏が宿っているということを、彫ることで表現していたのかもしれません。

今回の展示は27日(日)まで。またどこかで展示があったらぜひ行って見たいです。

会場は大宮公園の中。大宮公園に行ったのも何年振りだろう。50年を越えるかもしれません。帰りに武蔵一宮氷川神社にもお参りしてきました。
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by kurijin-nichijo | 2011-11-24 16:07 | 歴史
孫崎亨「日本の国境問題」尖閣・竹島・北方領土
e0181546_1047046.jpg恥ずかしながらあまりお名前を存じ上げなかったんですが、TWITTERでフォローしていたら、波長の合う発言をされていたので標記の本を読んでみた。

領土問題っていうのは難しい問題であることは認識していた。ただこれまでの種々な情報から、尖閣・竹島・北方領土に関しての日本サイドの主張には一応の根拠があり、もし外国人に問いかけられたら、日本人としてはそれぞれを「日本領」と言うべきだろうとは思っていた。

この本を読んだら、それはそう単純には言える訳でもないようだと感じた。氏はもちろん懸案の島々の領有について相手国の方に分があると言っている訳ではない。国境問題については、相手側には相手側の理屈が有る訳で、それも十分に理解した上で武力によらない解決策を求めていくべきだ、という点にある。

第二次大戦後のドイツの対応にも触れていて、大変に参考になる。1949年から1963年までドイツ首相の座にあったアデナウアーは、その「回顧録」で「新しいドイツは人は断固たるヨーロッパ人であるべきである。そうすることによってのみ、ドイツは世界に平和を保障される」と述べているとのこと。国家目的を変更して、「自国領土の維持を最重要視する」という古典的生き方から、「自己の影響力をいかに拡大するか」に切り換えたのだそうだ。それが現在の独仏関係にも反映されているし、さらにはEUの考え方にも繋がっている。

最近は政府首脳が、例えば尖閣問題で「領土問題は存在しない」という言い方をよく聞く。外交上はそれが適切な表現なのかなと漠然と思っていたけれど、それはどうやら領土問題を解決することを放棄したに近い言い回しらしい。

領土問題解決に向けての、考えうる9つの方策を提示されている。が、その一つを実行すれば解決できるものではなく、それらを適宜有効に使い分けながら、「武力紛争に持ち込まないという意識を持ちつつ、各々の分野で協力を推進することが、平和維持の担保になる。」という提起は納得できる。

日本の抱える領土問題について、分かりやすく解説してくれている良書です。
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by kurijin-nichijo | 2011-07-19 11:30 | 歴史
「日本の歴史を読みなおす(全)」 網野善彦著
e0181546_11843.jpg先日から「江戸時代の性風俗」とか「江戸時代の性風景」とか標題を変えて日記を書いた。標題を変えること自体、書きたいことが固まっていない証拠だけれど、なにに触れたかったのかというと、結構昔から女性は逞しかった、ということ。「性」に関してオープンで、処女性が問題にならず、離婚も全く傷にならない社会というのは、見方を変えれば、決して淫らで道徳観に欠けるものではなかったのでは、というところに話を持って行きたかった。

ただああいう風に書いてみたら、話が何処に行くのか本人にもよくわからなくなって、上述の場所まで辿り着けそうもない。で、なぜそんなことに触れようと思ったのかという、最初の所に話を戻してみる。

歴史学者である網野善彦氏の著作は以前にも読んだことがある。これまで「百姓」というと「農民」のことを指すと言われ、日本は弥生時代から江戸時代まで農業中心の社会であったと教わってきた。網野氏は能登の時国家の古文書を解析したことをきっかけに、「百姓」とは農民のことだけではなく、商業や工業にも関わっている人たちの総称である、と唱えた。船を使い、海、川、湖を利用して、平安時代、もしかしたらもっと早い時代から、活発な交易が行われていたという。

読んでみて、それまでの日本史観がひっくり返った思いがした。農業主体の比較的に静的な世界と思っていたものが、突然動的な世界が頭の中に広がってきた。しかも日本国内だけではなく、大陸とも活発なつながりを持っていたようだ。

とくに眼が覚める思いがしたのは、日本海を中心とした地図。見慣れている北が上に配置されたものだと日本海が「障害物」に見えてしまう。ところが南北を上下逆さまにして、日本海を中心にしたものにすると、日本海が「湖」、もしくは「内海」のようにしか見えない。それだけで、日本海が交易を遮断する難物には全く見えなくなってしまう。

標題の本は1991年と1996年に刊行されたものを併せて1冊にしたものだけれど、本屋さんで偶々見つけて購入。久々に網野説を読んでみた訳ですが、やはり面白かった。そこで昔の女性の関係のことを記した章があって、興味深かったので触れてみようと思ったわけです。

またまた、長文になってしまったので、ここでまた「続く」(かも知れない……)
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by kurijin-nichijo | 2011-06-26 11:36 | 歴史


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