栗栖増人来兵衛日乗

いろいろやりすぎて収拾のつかない栗栖増人来兵衛の好き勝手な日記
カテゴリ:時事( 46 )
「死の淵を見た男~吉田昌郎と福島第一原発の500日」(門田隆将著)
e0181546_1183920.jpg図書館に予約していた
「死の淵を見た男~
吉田昌郎と福島第一原発の500日」
(門田隆将著)

が、ようやく借りられたので読んだ。

地震による被災、さらにそれに続く大津波による被災により引き起こされた福島第一原発の事故発生から、かろうじて最悪の事態に陥ることを免れた辺りまでの、現場の状況を詳細に取材している。

全電源喪失という起きてしまった現実の事態下、同じ福島第一原発の敷地内にいながらも、建物毎の連絡も満足に取れない状況の中で、想定されるとりあえずのなすべきことを命をかけてやりぬいた現場の方々に敬意を払わないわけにはいかない。それは東電の従業員なんだから当たり前だ、ということとは全く別問題だ。

現実に1号機、3号機の爆発は起きてしまったわけだが、最悪の場合関東東北圏は人間が住めない状況になっていたかもしれない緊急事態であり、それを防げたのも結果論であるほどの緊迫した事態だったことがよくわかる。「原発事故での直接の死者はいない」などと嘯く人たちもいまだにいるけれど、この状況を知っていてそれを言っているのだとしたら、とても信用するに値しない。

首相官邸を含む「東京」の事故対策本部と「現場」との危機感のギャップが如実に表れてしまったのは、2、3号機に対する海水注入の問題ではないか。1号機爆発による線量増加等の危険を冒してまでの作業により、ようやく注入が始まった直後、官邸からの指示により海水注入中止の指令が届く。官邸にいる東電幹部と吉田所長の間で激しいやり取りがあり、一度電話が切れる。そして本店から注入中止の指令が来るまでの間に、吉田所長は現場の人間に根回しをする。その指示は、注入中止命令が来たら、本店とのTV会議には聞こえるように中止命令を出すけれど、注入は止めるな、という内容。現場では、もうそれ以外の方法はないことはわかっていたのだ。

こういう事態を迎え、自分の命が危ぶまれるという状況下、人間というのはやはり凄いと思う。職場を放棄して逃げようとする人はいないのだ。自分の命はともかくも、部下たちにも命をかけさせねばならない。それに心を痛めつつも、やるべきことは成し遂げた現場の方々に感謝の念を禁じ得ない。

もう一つ、痛切に感じることは、最高責任者はそのいるべき場所を離れるべきではないということ。東電本店からの報告が全く要領を得ないということはあったのだろうが、当時の菅首相がヘリで現場に飛んだのは最高責任者として間違いだったと思う。下手をすると、その行為がもっと悲惨な事態を引き起こしていたかもしれない。所詮は首相の器ではなかった、ということでしょう。

年末、涙しながら読ませていただきました。
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by kurijin-nichijo | 2013-12-31 12:04 | 時事
田中修著「植物のあっぱれな生き方」
e0181546_10332168.jpg1週間ほど前に読み終えた本。

「植物のあっぱれな生き方」
~生を全うする驚異のしくみ
(田中修著/幻冬舎刊)


ここのところ興味を持っているのは、動物とか植物の持っている知的水準に関すること。あえて「知的水準」と言ってみたけど、もちろん人間自身が認識する「知的」とは限らない。でも単なる本能とか遺伝子的能力だけでは説明できないようなことを彼らもしているのでは、という思いがある。

クジラやイルカは知的水準が高いなどと言われるが、それは人間の方で「知的」と認識できるデーターが取りやすいだけではないか。他の動物も本来は高い知的水準を持っているけど、それを人間の方が計測、または認識できないだけ、という思いがある。

余談になるが、「知的水準の高いクジラやイルカを殺すな」という言い方は、知的水準の低い動物は殺してもいいということに、結果的に繋がっていないだろうか。

そんな思いから、この本を読んでみた。
途中、私の大好きなハイポニカのトマトの巨木の話も出てくる。

一つ認識を新たにしたのが「受粉」に関すること。多くの花には雄蕊と雌蕊がある。知識としては風媒花、虫媒花、鳥媒花というのは知っているが、漠然とその花の中の雄蕊と雌蕊が接触して受粉に至るものだと思っていた。どうもそうではないらしい。雌蕊は長めに真っ直ぐ伸び、雄蕊は短めに斜めに放射状に伸びることで、できるだけ近親交配を避けているらしい。

開花時刻の決まっている植物群。どうやって時間を知るかと言うと、3つくらいのパターンがあるとのこと。

一つは温度が高くなることに反応するもの。チューリップやクロッカスなど。
二つ目は明るさに反応するもの。タンポポやムラサキカタバミなど。
三つ目は暗くなることを刺激として反応するもの。アサガオなど。

アサガオは朝に咲くけれど、温度や明るさに反応するのではなく、開花する前日に明るい環境から暗い環境に変わるという状況を感じ取って、その約10時間後に開花するのだそうだ。

植物は時間も計測できる。
アサガオが蕾を作るには連続して9時半間以上の暗黒にさらされる必要がある。約9時間以下では蕾はできず、しかも「累積」でも不可とのこと。
シソ(大葉)は15分の時間差を認知する。暗黒の長さが9時間45分あれば蕾を作るが、9時間半では作らない、等々。

それはそういうシステムが組み込まれているだけ、という意見もあるだろうけれど、誰がそんなシステムを作ったのかということも考え合せると、なかなか「あっぱれ」であると言わざるを得ない。人間が自身の知的認識力から当て嵌め様とすると違うということになるとは思うが、植物にも相当な「知的能力」があると考えた方がわかりやすいのでは。
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by kurijin-nichijo | 2013-08-22 12:01 | 時事
「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」講談社文庫
e0181546_10342278.jpg以前、少年マガジンだったかサンデーだったかで漫画で紹介されて、読んでみたいと思っていたけど失念んしていた。ふと、思い出して図書館で借りてきた。

「ネルソンさん、
あなたは人を殺しましたか?」
~ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」


アレン・ネルソンさん。私より3歳上。18歳の時勧誘されて1965年、米国海兵隊に入隊。翌年ベトナムに配属。19歳になって直ぐベトナムを去り、米国本土、地中海、ハワイでの勤務の後、4年の契約を終え除隊。ニューヨークの自宅に戻ったが、ベトナム戦争従軍によるPTSDで、家族からも疎んじられ、自宅から追い出される。そして23歳でホームレスとなる。

そのネルソンさんを1年しか在籍していなかった高校の同級生が見つける。彼女は小学校の教師で、彼にベトナム戦争の体験談を、子どもたちに話してほしいと依頼する。何度も断るが、子どもたちからのお願いの手紙などを読み、とうとう話してみる気になる。

その日、彼は戦争の実態について、残酷すぎる話は除いて、子どもたちに話した。もう一つ話さなかったのは、そこで自分がしてしまったこと。子どもたちは真剣に話を聞き、終わった時には拍手もあった。

いくつかの質問があり、そして最後に運命的な質問が女の子から発せられる。

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」

永い、もしかしたら短かかったかも知れない沈黙の後、眼を閉じたまま「イエス」と答えるネルソンさん。子どもたちから憎悪や恐怖の目で見られているという思いで、眼が明けられない。その時、誰かの手がネルソンさんの身体に触れ、抱き付こうとしてきた。眼を開くと、それは質問をした女の子。「かわいそうなミスター・ネルソン」と言って、眼に涙をいっぱい溜めて彼のために泣いている。やがて他の子どもたちも一人一人彼の身体を抱きしめる。ネルソンさんの眼から涙が溢れ出る。

そこから、ネルソンさんの精神的な再出発が始まる。


あまり短い言葉でまとめてしまうことには、自分自身、若干の懸念はある。
なんとか、この本に関する感想を書こうと思ったのですが、どうにもいい文章が浮かばない。
ただ、人間が場合によっては自分を曝け出すというのは、生きていく上で不可欠なんだろうとは思う。
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by kurijin-nichijo | 2013-08-21 11:25 | 時事
SPACE BALL~宇宙体感シアター~
e0181546_11115531.jpgおそらく初めてのブログ同日連投。

東京国際フォーラムで開催中の「SPACE BALL」を金曜日に観に行ってきた。
「世界初! 360度の星空に包まれる、宇宙体感シアター」との謳い文句。入場料1500円のつもりだったが、当日券は1800円。ちょっいと躊躇したが、ままよ、と清水の舞台から飛び降りるつもりで(笑)チケット購入。

16時からの回に並んだけれど、定員30名とのことでどうなるかと思ったが、整理番号28番で、なんとか16時からの回の初回に潜り込めた。が、これが結果的に失敗だったかも。

左右の入口から15名づつ入場する。入口にクロークとは名ばかりの荷物置き場がある。SPACE BALLの中に入って足下に荷物を置くと下が見えなくなるというので、いちおう指示に従う。中に入ると、左右5人づつ、3列の立ち席。ただし前2列は椅子ではないがバーが有ってもたれかかることはできる様子だが、最後列はスタンディング。28番の私は最後列で、足元は鉄板でそもそもほとんど下は見えない。ならば荷物も持ち込みたかった、という気が。

で、内容はというと、個人的にはあまり新鮮味がなかったです。
今でもyoutubeで探せば映像が有りそうだけれど、30年ほど昔「Power of Ten」という映像が有った。公園で寝そべっている男性の映像から、10の階乗分だけ遠ざかって宇宙に行き、そこからまた公園の男性に戻って、今度は「マイナス」階乗になってミクロの世界に入っていくもの。
もちろん360度映像でもなかったし、映像の精細度も表現方法もその頃とは比べ物にならないはずですけど、それを初めて見た時の衝撃の方が大きかった気がします。

もしかしたら最前列で見られたら、かなり印象が異なるのかも知れません。私の位置からは前述のように下はほとんど見えないし、前方も段差はあるものの人がいて見えない部分がそれなりにある。
これから行かれる方にお奨めは、整理番号1~5、または16~20をゲットすること。おそらくそれなら最前列に行けると思います。それ以外の番号になってしまったら、1回遅らせたほうがいいのではないでしょうか。ただ子供がいると優先する場合もあるようなので、あとは現場合わせですね。

私にとっては、この10分間、当日券1800円は割に合わなかった感が有ります。最前列でもう一度見てみたい気もなきにしもあらずですが、前売1500円をまた払うかというと、どうなんでしょう(笑)。
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by kurijin-nichijo | 2013-01-13 12:00 | 時事
様々な「終末論」
e0181546_10141777.jpgマヤ暦の関係で、今日「冬至」の日がからかわれ気味に騒がしい。場合によっては人類滅亡なんて話もある。

「終末論」はいろいろある。記憶の中で最も話題になっていたのは、やはり「ノストラダムスの大予言」、1999の7の月、ってやつでしょう。実はこの予言が話題になり始めたころ、私はかなり真剣に考えていたことが有る。

1980年代の終わり頃だったと思うが、人類がこのままの生活態度でやっていくと、21世紀後半には少なくとも人類は生き残れないのではと、漠然と考えていた。それが1999年ということになると、思っていたより早くその時期が来る。真剣に考えたってどうなるものでもないのだが、けっこう心配していた。

が、ある日、ポッと抜け出てしまった。なにかというと、その日に人類が絶滅するのだとしたら、悩んでいたって仕方がない。「絶滅」なら自分も生きていないということになる。何も起こらないなら、それまでの生活が続く。幅広いその中間は何かというと、誰がどのようにすれば生き残れるのか、に尽きてしまう。例えば人類の半分が死んでしまうという場合、自分がどっち側かは起きてから出なくてはわからない。死ぬ側だったらそれまでだし、生き残り側だったら、そんな状況でどうやって生きていくかなんて、その場になってみなくてはわかるはずもない。

2000年にも問題が提起されてましたね。「2K」問題、っていってましたっけ。いわゆるコンピュータの「年」の記録方式の問題。下2桁で登録されているものが多く残っているため、「2000年」になると「00」、つまりは「1900」年と認識されて、コンピュータに大混乱が起き、それにつながっている社会的にも大混乱に陥る、という話。電気なども使えなくなるかもしれないということで、水・食料の備蓄を奨励する人もいた。

それも大した問題は発生せず、終末論は終わりかと思ったら、またぞろ出てきたのが2012年12月説。マヤ暦には2012年12月冬至の日までしか記されていないとのことで、そこで人類の歴史は終わるのでは、とか。はたまた同時期に「フォトンベルト」に地球が入ってしまうために大混乱が起こる、なんて説も。

おそらくそのきっかけになったのが、上の写真の「フォトンベルトの謎」。「科学的な知識」に乏しい私には否定することもできないが、この本を読んで、それは明らかにおかしいと思ったことが一点。

著者が、たしか風水の大家から聞いたという話。
南極の氷が崩れてどんどん海に流れ出している。なのに一切の報道がない。それは流出した氷が融けて、海面上昇することを避けるため、アメリカが極秘開発のプラズマ兵器を使って瞬間蒸発させているからだと。

「科学的知識」が乏しい私にも、これはおかしいとわかる。プラズマ兵器によって瞬間蒸発された氷の水分は特別で、もう地球には降り注がないという条件でもないと、むしろ融けるのを早めているだけになる。もう降ってこないとしても、地球外に飛ばされるのだとしても、それは別の意味で地球生態系上にとって大問題でありましょう。

その後、「フォトンベルトの真相」なんて本も読んだが、知りたかった「真相」ではなく、実際はフォトンベルトに入る前、2007年頃(だったと思う)に別の要因で大混乱が生じるのでは、という内容で、おいおいっ、だった。

実は、私が講習会をやっている正心調息法という呼吸法の提唱者も、20世紀末から21世紀初頭にかけてカタストロフィーが起きると言われていた。そこからの復興に向かう端緒となる年、出来事もも具体的にあげられていたのだけれど、その年ももう過ぎた。

昨年の東日本大震災を見ても、終末論には関係なくとも、人間が想像もできないことは今後とも起こり得る。なので事前に対策を立てられるもの以外は、私は全て発生対処という気持ちでいる。
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by kurijin-nichijo | 2012-12-21 11:11 | 時事
烏賀陽弘道著「原発難民~放射能雲の下で何が起きたのか」
e0181546_1763749.jpgジャーナリスト・烏賀陽弘道氏の新著「原発難民~放射能雲の下で何が起きたのか」(PHP新書)を読んだ。

烏賀陽氏については、ツイッターで原発関連の情報を当たっている中で知り、フォローしている。またツイッター上で「烏賀陽大学入試問題」を投げかけていて、初めはなにすればいのかわからなかったが、昔やっていた「萬流コピー塾」の乗りで、私も「受験」している。

新著を読み始めて驚いたのは、まずは内容よりも平易さ。初めて読む人の文章というのは、場合によってなかなか慣れなくて、内容が頭に入ってこないこともある。氏の文はとてもしっくりくる。ツイッター上では時により乱暴な言葉遣いもあったりするが、この本の文章は静かだ。取材をベースにして、質実に書き上げている。静かな文の中の一文一文に想いがこもっている。実は先行して読み始めた他の本があったのだが、思わずこちらを先に読むことに切り替えた。

取材を1年以上重ねた上での確信として、放射能による健康被害以前に、すでに被害は深刻である、と言う。

①意志に反して家や故郷を追われ、
 その地で長年培ってきた歴史や文化が失われた。

②家族や友人、地域などのコミュニティに分断と対立が生まれた。

③家族がばらばらに住まざるをえなくなった。

④避難者とそうでない人のあいだに偏見、差別、対立が生まれた。

⑤長期間の避難生活で心身が疲弊し、健康を維持できなくなった。

そして、こうした被害の多くが、原子力災害以外では起こりえなかった種類の災害である、と指摘する。

この本を読み始めたのが、このブログでこの前に書いた、映画「希望の国」を見た直後というのも、全くの偶然ではないような気もする。原発事故の後も未だに「原発事故で直接死んだ人は一人もいない」と嘯く人がいる。彼らには、現実に起きてしまっているこういった事態はどう見えるのだろうか。あるいは見る気もないのだろうか。

第四章の「被爆者も避難者も出さない方法は、確実にあった」も考えさせられる。

昨年の原発事故のような事態は予測されていて、実はその対応策まで策定されていた。にもかかわらず、それが実行されなかったという指摘。今に至ってもそれを再検証することもなく、いざという時の避難方法等を見直すこともなく、再稼働に向けていろいろと策動する政府とは一体何なのか。

またぞろ選挙、選挙と声が強くなってきている。現行の選挙制度で脱原発の方向付けをするというのも難しいことではあるが、本当に真剣に考えなければいけない時期でになってきている。
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by kurijin-nichijo | 2012-11-10 17:57 | 時事
橋本治「『みんな』の時代」~朝日新聞9/28朝刊記事
9/28(金)の朝日新聞には「『みんな』の時代」という橋本治さんの寄稿も載っている。
e0181546_10522019.jpg
冒頭のロンドンオリンピックメダリストたちの銀座パレードに対する見物客たちの熱狂具合について、メダリストたちが「国民のヒーロー」ではなく「みんなのヒーロー」だったから、という指摘にはピンとこないところがある。批判とかではなく、個人的にはどちらにも実感がないということですけれど。

手短かに纏めるのは難しいけれど、自分なりの纏めとすれば次のようになるのか。ちなみにこの場合の「みんな」は「みんなの党」という政党を意味しているわけではありません。

日本人の中に「国民」という括りが弱くなってきている。
「みんなの中の一人」という意識が強くなってきている。
「みんな」の時代ということを踏まえて、
「みんな」自身も政治家等も頭を使っていかなければならない。


橋本治さんの文の一部を抜き書きして、参考にしておきます。

「国民」という括りが、日本人の中から遠くなっているように思う。

いつの間にか日本人が「自分たちは日本国の国民だ」という考えをしなくなっていることである。

「みんな」の結集は、ワンテーマでしか起こらない。それ以上のテーマがあったら内輪揉めが起こる。

東日本大震災の被災現場で大きな力になったのは、ボランティアという名の「みんな」で、日本人はそういう「みんな」を結成できるところまで成熟した。

「みんな」というのは横並びの関係なのだ。だから、上に立つリーダーが力を持ってしまうと、「みんな」という集団にも亀裂が生まれてしまう。

リーダーに必要なのは決断力と、同時に「みんなの声を拾い上げる力」で、それは「みんなと喧嘩をしても平気な信念を持つ」である。

大震災以降、いろいろな文章を読む中で、個人的には村上春樹、高橋源一郎、橋本治三氏のものが心の奥まで響いてくる。寄って立つところが明確であると、時代の流れを、流れの内外から見られるということなのか。ここ20年以上、小説をほとんど読まなくなっていますが、また読みたくなってきました。
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by kurijin-nichijo | 2012-10-05 11:30 | 時事
村上春樹「魂の行き来する道筋」~朝日新聞9月28日朝刊の記事
村上春樹さんが昨日の朝日新聞朝刊に「魂の行き来する道筋」という領土問題に関する文章を寄稿。昨日の朝の時点では、朝日新聞WEB番で全文読めたのだが、今は不可になっている。一部を紹介してみます。
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国境線というものが存在する以上、残念ながら(というべきだろう)領土問題は避けて通れないイシューである。しかしそれは実務的に解決可能な案件であるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。

そして「そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない。」と書いています。

今朝の日テレ「ウェークアップ!ぷらす」を見ていても、元中国大使の「棚上げしておくべき」的な考えには、それは外務省的考えと否定的なニュアンスを被せ、現状どう動けば解決の方向に動くのかという言葉を引き出そうとする。

これほどの問題にまで大きくしてしまったきっかけを作った都知事、都の購入にしておけば問題なかったなどと発言する副知事の責任を問うこともなく、結論の出ないメッセージを吐き続けている。誰が考えても、日中両国から全く異論の出ない、即解決可能な案などあるわけがない。それを前提として、時間の流れの中で解決策を探っていくしかないことは自明の理であろう。
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by kurijin-nichijo | 2012-09-29 15:34 | 時事
安田浩一「ネットと愛国」読了
e0181546_15411719.jpgツイッターで知って読んでみた。まずは「在特会」というのが全くわからなかったが、ようやく「在日特権を許さない市民の会」の略であることを理解した。

それとともに去年の8月にあった「反フジテレビ」のデモのこともようやく背景を理解した。あのデモの時になんであんなに日章旗が林立していたのかよくわからなかったのだ。

読んでみて、素直な感想は、毎金曜に首相官邸前で抗議行動を続ける反原発運動の参加者と、在特会に参加して罵声を上げる人たちの心情は、それほど離れてはいないのではないかということ。組織性を持たずに、ネットを通じての拡大という面では、双方同じような展開をしている。そしてその先にある目標が今一つはっきり描かれていないという面でも。

ついでに言えば、橋下大阪市長率いる日本維新の会への注目度も、同じ流れの中にあるような気さえする。

今のままではいけない、何かを変えなければいけない、という思いが、様々な形になって流れていく先を国民が探しているのではないか。

著者の「在特会は『生まれた』のではない。私たちが『産み落とした』のだ。」という一文が、胸に刺さる。なかなか難しい時代に入っているという感がする。
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by kurijin-nichijo | 2012-09-13 16:43 | 時事
今後のエネルギー政策に関するパブコメ
内閣府のサイトで2030年時点での原発の有り方について、パブリックコメントを募集している。

◆「エネルギー・環境に関する選択肢」のパブリックコメントの概要

6月29日、政府の「エネルギー・環境会議」から
「エネルギー・環境に関する選択肢」が提示されました。
2030年までの日本の原発のあり方が、
以下のシナリオ選択で今まさに決められようとしています。

☆「原発ゼロシナリオ」・・・唯一の脱原発シナリオ
  ※原発による電力依存率0%
★「原発15シナリオ」・・・原発増設可能シナリオ
  ※原発による電力依存率15%
★「原発20-25シナリオ」・・・原発まい進シナリオ
  ※原発による電力依存率20~25%


この問題に関するパブコメの締切は8月12日(日)。あと24日。
詳しくは「パブコメで未来を変えよう」参照。WEB、Fax.、郵送での投稿可。
http://publiccomment.wordpress.com/


私は下記のような投稿をしました。

******************************************
意見概要(100文字以内)

「原発ゼロシナリオ」を望みます。
今すぐ脱原発、全原発廃炉を決定したとしても、廃炉自体にも長い年月がかかり、放射性廃棄物の処分方法も確立できない。もう先延ばしはすべきでない。

*********************************************
意見及びその理由

「原発ゼロシナリオ」を望むのは次の理由です。

①もう新しい立地での原発建設は事実上不可。
 ☆地震が多く、活断層があちこちに走っている日本に安全な場所なし

②既存原発の老朽化が当然のごとく進むが、同じ場所での新設も不可。
 ☆廃炉にした原発と全く同じ位置に作れるわけでもない。

③放射性廃棄物の処理方法を確立できる見込みがない。
 ☆使用済み燃料棒の保管場所も最早満杯に近づいている。

④以上の理由から、できるだけ早く脱原発を図るとともに、
 原発がなくなった後の電力供給体制を迅速に検討していく必要有り。

以上です。
***********************************************

前述のように「即廃炉決定」という選択肢はないので「0シナリオ」にしました。
以下、多少の補足を加えた私の考え方です。

例え現時点で「全原発廃炉」を決定したとしても、「廃炉」自体は「即」できるわけではない。
何十年単位のスパンでの事後処理を続けねばならない。

福島原発の事故を受けて、地震が多発し、
活断層があちこちに走る日本の国土で、
もう新規立地での原発建設は危険大で不可能。
かつ既存立地でも新規建設は不可能。
老朽化した原発は順次廃炉にしていくしかない。
最新の原発でも30~40年後には寿命を迎える。

さらに放射性廃棄物の画期的な処理方法が見込めない。
使用済み核燃料はもう格納する場所さえおぼつかない。

そういうことを考え合わせれば、
30~40年後にはもう原発による電力は最早ゼロにならざるを得ない。
だとすれば、しなくてはいけないことは、
可及的速やかに「脱原発」の方針を固め、
30~40年後の「原発による電力ゼロ」を見据えた上でのビジョンを
策定していかなければならない。

私はそう考えます。
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by kurijin-nichijo | 2012-07-20 16:39 | 時事


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